私は3人の子育て中の母である。
小学生2人、幼児1人。夫の5人で北海道に移住し暮らしている。
今日の北海道は少し寒く、朝は15度前後。
今日は小学生組がお弁当の日だった。
この記事オススメの方
・子どものために日々過ごしている方
・子どものやりたいに困っている方
・子どものお弁当つくりが辛い方
お弁当の日のルーティン
朝起きて作っていると長女が起床。
その後自然とお弁当作りを手伝ってくれる。
その後ぼーっとしながら長男も起床。
長男もキッチンの床に座りお弁当に詰める食べ物の香りを嗅いでいる。それから『やる』と手伝ってくれる。
自分でソーセージを焼き、
自分で卵焼きがやりたいと志願してやって
トマトとその他一品を用意。
お弁当箱を用意して
自分で考えて詰める。
果物の準備は私の担当。(何の果物かを楽しむためらしい)
これが我が家のお弁当の日の定番。日常だ。
『お弁当は自分で作りたい』
この言葉を子ども達がからよく聞く。
そう思うことも
それを毎回実行する子ども達も
実は当たり前なようで当たり前な日常ではないのではないか。
我が家では当たり前な日常で気にすらしていなかったけれど。
これって意外と特殊なことだったりするのだろうか。
周りで一緒にお弁当を作る話も聞かないし、
だいたい子どもに対して“用意した”という言葉を聞くことが多い。
お弁当の日は特別感があるのだろう。
子どもは楽しみにしてくれていることが多いと思う。
自ら自分でやりたいと一緒に作るこの時間は
とても貴重なものかもしれない。
いつからそうなったのだろうと考えてみたら、
きっかけがあった。
それは私自身の気持ちの変化からだった。
以前の私はこう考えていた。
お弁当作りは私の担当。
母親がお弁当を子どもに作ってあげるという勝手な世の常識的な意識。
色物を意識してバランスよく、綺麗に見えるように盛り付ける。
子どもの頃から母親に作ってもらっていたのでその意識が当たり前にあった。なので、自分の子どもにも自然とそう想っていた。自分が作るもので綺麗にしなきゃなと。
でも、子どもからの思いは少し違っていた。
子どもからの合図
『一緒に作ってみたい』
この気持ちを子どもの口から聞いた。
確か長女がまだ保育園に通っている時。
まだまだ大人のやっていることを真似してみたい。
そんな年齢だったように思う。
その時、その気持ちに応えてみようとふと思った。
一緒に詰める作業をしたり、お弁当のおかずは何にしようかと話で盛り上がった。とても楽しかった。
そこからちょくちょくお手伝いしてくれる日があったりなかったり、
そんな日が数回続いた。
そして私の気持ちに少しずつある変化が生まれてきた。
『子ども自身が自分でやりたいならやってみるのも経験なんだろう』
『たかがお弁当つくりかもしれないけれど、されどお弁当つくりかもしれない』
『失敗して成功してを繰り返していくことが今後何かのヒントになる時がくるかもしれない』
そんなことを思い始めて、
少しずつお弁当つくりを子どもに任せるようになっていった。
見た目はぐちゃぐちゃかもれしれない。
綺麗とはいい難いときもある。
それでも子どもには『自分でやった』という満足感と達成感が確実に生まれていた。
そして『自信』も自然とついていったように感じている。
それはお弁当つくりにも現れているように思う。
私がお弁当つくりで子どもに伝えていることはだいたい2つ。
・冷たいものと温かいものは離して入れたほうがよいこと
・作ったら冷ましてから蓋をすること
色どりがとか、バランスよくと言う時もあったけど、
今は自然と言わなくなった。
聞かれたらお母さんはこう思うということを伝えるようにしている。
思うこと
子どものためにと想うその“型”を違う角度からやってみる。
完成形は求めずに、ありのままをそのままを認める。
それを負に感じることもあるかもしれない。
もっとこうしたら綺麗にみえるとか、周りから自分で作らせているんだと思われてるかもとか・・・思わないことはない。
それでもそう思われてもいいほどに手応えを感じてしまっている。
子どものやりたいは自信に繋がったり、経験していくことで自己肯定感にお繋がっていくと一番近くで感じている。
今後も子どものためになっていくことと願いたい。
