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小児喘息の息子と向き合った4年。泣いて、乗り越えて、今思うことー2ー

子育て情報
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息子の喘息についてのブログです。

息子は1歳の頃に「小児喘息」と診断されました。
3歳の頃には、色々重なって一人で入院(3日間)することにもなりました。特に入院は喘息持ちの息子にとってとても辛い経験となり、今現在も時々顔をのぞかせてきます。

様々な思いを経験してきた喘息ですが、今現在、息子は全く喘息発作がでていません。もう1年以上になります。喘息、そして入院とどう向き合ってきたのか、喘息発作がでなくなった理由など、3回に分けてお伝えします。

第2回の今回は息子が「小児喘息」と診断された後、新型コロナが流行する中で、入院したお話しです。

本記事おすすめの方。
・喘息持ちのお子さんがいる方
・喘息との向き合い方に悩んでいる方
・小児喘息と診断されて辛い方

新型コロナウイルス流行

息子が小児喘息と診断されてから半年後に、新型コロナウイルスが流行し始めます。

流行し始めは、マスク、手洗いでそのうち治まるだろうと思っていました。
ですが、日に日に広がっていくコロナ。。“マスクも消毒もまとめ買い”など社会全体でそわそわし始めていた頃、息子の通う保育園でも、できるだけマスクをしてほしい旨の話がありました。ですが息子はまだ1歳半、、、。マスクができるわけもなく手洗い・消毒を徹底されていました。

コロナが蔓延し始めて、マスクが売り切れたり、消毒が売り切れたり、コロナに振り回された頃、一つの情報に私は恐怖を覚えました。

「コロナは呼吸器系に影響を与えるウイルス」
「喘息持ちの方など持病のある方、乳児や高齢者は重症化する可能性がある」

今では不確かな情報だったのかもと思いますが、当時は社会全体が模索していた頃でこの情報を鵜呑みせざるを得ない状況でした。その時、息子は2歳前後。乳児でしたのでその情報に戦々恐々でした。

あの喘息発作が起きた上に、コロナが重なったら…と想像するだけでとても不安で怖くなり、鳥肌がたったのを覚えています。

新型コロナと診断される

コロナが流行中、とにかく、息子がコロナと喘息を一緒に併発しないようと必死でした。
コロナを発症すると周りの人も隔離対象になっていたので、隔離対象になることにさえ敏感になっていました。

コロナ前よりも、より安全・安心を求めるようになりました。
園でもコロナがポツポツ確認され始め“喘息とコロナが重なったらどうしよう”と不安になり、息子の喘息が起き始めたらそれが落ち着くまでは長女も一緒に園を休ませるという手段を取ったりしていました。

子どもが元気な時でも、自分の職場でコロナを発症した方がいた時は家に帰る前に消毒を徹底したり、服を着替えるなどの手段をとっていました。

それほど、敏感に対応していましたが、それでもコロナはすぐ近くまできていて、、、。
コロナ流行から1年半が過ぎ3人目が生まれた頃、ついに息子がコロナと診断されました。
それは忘れもしない3歳の誕生日でした。

診断された時、我が家には生後1ヶ月の次女もいたのでさらに気を使いました。
ふにゃふにゃの赤ちゃんに移ったら、、、息子が喘息発作を起こしたら、、、と常にネガティブな考えが沸き起こり、それをかき消すように、消毒、できるだけの隔離を徹底して、授乳の時間には息子と接した服を変えて授乳するという一日に何度も着替えをするという生活を送っていました。
幸い、息子のコロナ症状は軽く済み、喘息発作を併発することなく生後1ヶ月の娘を含め家族に移ることもなく終わりを迎えることができました。

その1ヶ月後に今度は長女がコロナになりましたが、その際も徹底して過ごし、家族に移ることなくその場を切り抜けました。

季節の変わり目の喘息発作から

息子がコロナにかかってから2ヶ月後。季節の変わり目から風邪引き、喘息発作を起こしていました。喘息発作は季節の変わり目が出やすいことで知られているのでいつものように吸入しながら様子を見ていました。もちろんコロナも十分に気をつけていました。上の子(長女)は小学生になっていたので、家庭の都合で学校を休むということは少なくなっていましたので、手洗い・消毒を徹底して過ごしていました。

いつものようにまくらを高くし、“食べられそうな時に食べ、水分だけは取る”ように心がけて過ごしていました。いつもの喘息発作なら水分も取れ、吸入後は少し落ち着いて元気な様子を見せてくれていた息子ですが、今回は様子が違いました。

“吸入しても1時間も立たずに苦しそうにしている”
“元気な様子もなく常に横になって呼吸が浅い”

そんな状況にすぐに病院を受診。
“秋風邪からくる喘息発作”との診断で強めの薬と、吸入の回数を増やして様子をみるように言われました。そして「治まらないようなら明日また来てね」と。

その時にもっと突っ込んで調べておいてもらったら良かったと後で後悔することになります。

その夜、息子は相変わらず呼吸が浅く、吸入しても落ち着くことがありませんでした。
それどころか熱は上がり、目も虚ろになって“寝ても苦しくてすぐに起きてしまう”そんな状態になっていました。そしてついに水分をとってもすぐに吐くようになってしまいました。
そして唇がすこし青ざめているようにも見えました。“酸素が回っていない・・・?”と不安になりました。

“これはいつもと違う”“あきらかに何かがおかしい”と嫌な予感がしました。
その時は真夜中。救急病院を受診するか迷いました。ただ、抱っこしていると落ち着くこと、少しでも眠れる息子をみて、朝一で受診することを決めました。

これも、後に後悔することになります。少しでも早く救急車を呼んでいたら良かったのかも、救急病院へ行けばよかったのかもと・・・。

朝一でかかりつけ医に連絡し状況を説明してすぐに診てもらいました。
先生はとても穏やかな口調の方で険しい表情などは1回も見たことがなかったのですが、
その時はすぐに血液検査をしようと言ってくださり、結果CRP(C反応性蛋白)という炎症の有無や程度を見る数値が異常な数値だということが分かりました。
先生も張り詰めたような表情になり、

「すぐに紹介状を書くから、このまま大きな病院に行って」

と言われました。嫌な予感は当たり、先生の表情からももっと嫌な予感を感じながらメディカルセンターと言われる大きな病院に向かいました。気持ちが不安になるなかで幸いだったことは、かかりつけの先生がそのメディカルセンター病院の元小児科医長だったこと。

「僕から直接連絡しておくから安心して向かって」

と後輩にあたる医師の方に直接連絡を取ってくださったことで病院到着後、スムーズに診てもらえたのがとても気持ち的に救われました。

1人での入院

そしてそこで詳しい検査をしていく中で、秋風邪からくる喘息発作に合わせてヒトメタニューモウイルスと、そしてもう一つの菌を含めた3つに同時感染しており、「気管支肺炎」を発症していることが分かりました。

呼吸も浅く、意識も朦朧とし始め、酸素濃度も89〜90と低めで眠いけれど寝られないという状況の息子を見て「入院して治療をしましょう」と医師から言われました。

コロナ禍だったため、付き添い入院は不可。そして面会もできません。付き添いできる病院も紹介されましたが部屋の空きがあるか不明だったこと、私1人のみの付き添いになり下の子(生後4ヶ月)の授乳(母乳)問題、そして何より息子をここからその病院まで移動する負担を考え、迷った挙げ句1人入院を決断しました。苦渋の決断でした。

目の前の苦しそうな我が子を見ながら気管支肺炎になってしまったことも受け入れられていないのに1人で入院させなければならないことに涙が止まりませんでした。そして入院するためのコロナ検査を受けていたところ、まさかの陽性反応。。。

その陽性反応は2ヶ月前になったコロナに対して反応したものだったのですが、点滴をぶら下げて個室に閉じ込められながらの手続きで、何が何だか分からない状況で現実じゃないようなそんな感覚になりました。

手続きが終わり、息子は看護師の方に連れて行かれました。意識が朦朧とし泣きながら連れて行かれる息子を見るのはとても心苦しく涙なしには見送ることができませんでした。

入院生活

息子の入院中、面会は一切できません。毎日、先生方から溶体の連絡をもらいつつ、毎日午前中に荷物を渡しにいきました。小児科の入口につくと、泣いている子どもの声がたくさん聞こえてきます。ここに入院している子どもたちは一人で親と会うこともできずに戦っているんだと思うとそれだけで涙腺が崩壊してしまう私。それでも、息子を託すことしかできない自分が無念で情けなく、、、後悔ばかりが頭をよぎっていました。

オムツや着替えなどを毎日持っていっては、小児科の入口で看護師の方に渡し息子の様子を伺っていました。看護師の方が写真を撮ってきてくださり、息子の泣き腫らした顔ですら見られたことに安心したのを覚えています。慣れてきている様子も聞くことできた反面、夜は泣いて暴れてしまうため、ベットから落ちる危険があることから手首や身体などをベルトで固定させてもらっている旨の話もありました。

その固定するための承諾書にサインしなければならなかった時、本当に息子にとって辛い思いをさせてしまったと泣きながらサインしました。その記憶は息子の中にしっかりと残り、今でもフラッシュバックすることがあります。私としては後悔してもしきれない想いでいます。

そんな3日間を過ごしたのち、息子の様子から自宅療養が可能になった時点で退院になりました。
3日ぶりに見た息子は声はガラガラであまり視線が合わず、、、。早く家に戻りたいとスタスタと歩いていましたが、緊張がほどけたのはエレベーターに乗ったあと。思い通りにならなった想いが溢れて泣き叫んでいました。
抱っこしながら“よく頑張ったね”“会えて嬉しいよ”と伝えつつ、心の中では“ごめんね”と繰り返して伝えていました。

まとめ

今回は息子が入院するに至った経緯と入院生活についてお話しました。

正直、この時の記憶は鮮明に覚えている部分とそうでない部分が混在しています。
特に、息子の記憶はあるものの、家にいた2人の娘とどう生活していたか全く覚えていません。
長女には説明して、いつも通り振る舞った記憶がうっすらあるくらいで、次女に関しては4ヶ月でお世話したはずなのにその記憶はほぼありません。

それくらいとても、とても強烈で胸に刺さる経験でした。

たった3日間。。周りから見れば短いですしあっという間と感じますよね。
“短くて良かったね”と言われることも言うこともありますが、とても短い入院生活だったにも関わらず、その時は永遠に続くようなどん底にいるような感覚でした。

そしてそれは息子にとっても同じことかもしれません。息子にとってこの入院という経験は3歳でしたが記憶に刻まれ、退院後はその入院生活の反動とフラッシュバックに悩まされることになります。そして私自身は、“自分ではどうしようもできなくなった息子を預ける”というもどかしさを経験し、子どもの体調管理に対する考え方が変わっていきます。


この入院経験で感じたことは辛いことが多かったですが、コロナ禍という通常ではない状況の中で先生も看護師の方も精一杯私達親子のフォローをしてくださったことにとても感謝しています。
この経験がなければ、今も息子は喘息に苦しんでいたかもしれないですし、私は喘息発作と別のウイルスが合併したらとヒヤヒヤした生活を送っていたと思います。

今でもこれが最善だったのだのだろうかと考えてしまうことがあります。あの時、踏み込んで聞いておけば、救急車を呼んでいたら、救急病院にいっていたら息子の辛く苦しい時間を減らせたのではないかと…。
後悔を後悔で終わらせないために、そこから学んだことは常に子どもにとっての最善策を考えるようになったことです。子どもにとっての最善策を意識して考え動けるようになったことはこの経験が生きているなと思います。


次回は、退院後の生活とフラッシュバック、そして喘息に対する考え方を変えて向き合った結果についてお話します。

現在、息子は6歳になります。(2025年)
喘息発作は全く出ていません。寛解したかどうかはよく分かりませんが、治ったといっていいほどの元気さを日々見せてくれています。

息子の喘息がよくなった要因は“身体が丈夫になったこと”だと思いますが、
丈夫になった要因は、色々なものを試したからだなと感じる部分が大きいです。

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このブログで少しでも同じような環境の方に届き、一人じゃないことを感じてもらえたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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