こちらのブログでは、娘の「吃音」についてお話ししています。
お話はこちら↓↓


吃音とは、言葉がスラスラと出てこない言語発達のことです。
回数を分けながら、我が家の娘との吃音との向き合い方や、親としてどういうマインド(心構え)を持ち、接しているかなどを発信しています。
吃音の度合いや本人がどこまで気にしているかなどケースが違ってくると思いますので、あくまでも我が家の場合での情報発信になります。ご了承ください。
前回は“言語相談を受けようと思うまで”についてお話しました。今回は、保健師さんとの相談内容や面談の様子についてとそこから生活についてお話します。
言語相談の日までにしていたこと
言語相談は娘が吃音を発症してから約1年が経っていました。
2人目を出産前後から、吃音症状が繰り返し(連発)から引き伸ばす(伸発)に悪化していました。

わ、わ、わ、わたしね
から、

わーーーーーーーたしね
常に引き伸ばしの吃音がでるわけではなく、混ざってでてくるような感じでした。
悪化してしまったことで、私は落ち込み、産後の状況も重なって毎日、どうしたらいいのか考えながら過ごしていました。
下の子が生まれたことにより、強制的に環境が変化していたので娘が不安にならないように、安心して過ごせるようにと模索する日々でした。
娘との時間を作るべく、産後の身体が落ち着いてきた段階で、育休を取ってくれていた夫もに協力してもらいました。
・夫に新生児のお風呂をお願いする
・私一人で娘の園にお迎えに行く など
できる限り、“娘と2人で過ごす時間”を短い時間でも持つように必死でした。
娘の話はその瞬間その場で極力聞くように心がけ、言葉の端々も敏感にアンテナを張っていました。楽しかった思いには共感し、“気持ちを受け止める”ことを自分なりにできうる限りしていました。
娘が吃音を自覚し始める
出産後あたりから、娘自身も吃音を自覚し始めていました。

なんで、わ、わ、わ、ってなるの?
そう言われました。その時はどう答えていいのか分からず、

言いづらいね。
言いづらくて嫌だね。
と返しました。言いづらさに共感するということしかできなかったんです。
“気にしないで”と言ってしまいたくなりました。そう言えばその話題も終わるし、気にしなくてもよくなるから。。
ですがそれを言ってしまっては、せっかく話してくれたのに“気持ちをスルーする”みたいで言うのをグッと堪えたのを覚えています。
気になっているのだから“共感しよう”と思いました。少し吃音という言語障害に向き合う覚悟が持てていたのかもしれません。
娘は吃音がでている時も一生懸命にこちらに話しかけてきてくれていました。
吃音が気になってしまう気持ちはもちろんありましたが、それよりも子どもが伝えたいことは何か、そちらに注目することが大事だなと思い伝えたい内容に思いを寄せて娘の成長を感じたり、嬉しくなったりと不安は残りつつも、吃音に引っ張られずに生活するようにしていました。
言語相談の日
言語相談は、市役所の保健師の方との面談となりました。
市役所に電話して、「言葉のことでに気になっている、話を1度聞いてほしい」いう旨を伝えたところ言語相談の枠を紹介され、予約しました。
その枠はとても少なくて、週に1度午前のみという狭いものでした。
幸い夫が育休中だったタイミングで取れたので、夫と一緒に行き、下の子は夫に見てもらいながら、私と娘と保健師の方で話をするという形となりました。
その保健師の方は言語聴覚士の資格をお持ちで吃音に関して学んでいる方でしたので、話を進めていく中で、吃音について詳しく説明してくれました。
その方の話では、以下の点を言われました。
・子どもの頃になる確率は100人に1人くらいであること
・女の子より男の子がなりやすい傾向にあること
・そして小学生になる前までに自然消滅する確率は女の子だとだいたい7〜8割であること
・今の時期(娘4歳年少)はどこかに通う、言語教室で訓練などするということは難しいこと
・保育園の先生にはどうしてほしいのか伝えておいた方がいいこと
・言葉を急がせたり、落ち着いてなどの声かけをしないこと
・吃音のことを子どもから何か伝えてきた時は、共感しつつ、頭で考えていることがたくさんありすぎて口とうまく繋がっていない旨を噛み砕いて伝えてあげるといいこと
・スラスラ話せないことがダメなことではないこと
・吃音の発症は親の育て方ではないこと
・吃音がでていてもたくさん話せる環境を整えていくことが大切であること などなど
様々なことについてお話しました。
娘は初対面の保健師の方の前では一言も話しませんでした。声をかけられても下を向くばかり。ですので、実際に娘の吃音を聞いてもらうことはできませんでした。とても緊張していて最後の方に保健師の方の声かけに頷くというのが精一杯な感じで終わりました。
この保健師の方との相談をして

子どもの気持ちに寄り添っていけば、
小学生前には自然消滅する可能性が高いのかもしれない。
吃音についての対応も聞いたし、
園の先生にも吃音について説明して配慮してもらって様子をみよう。
吃音がダメなことではないことを私自身も胸に刻んで、
スラスラ話せなくても楽しく話せる環境を意識していこう。
そう思うようになりました。話を聞いたあとでも自然消滅する可能性を信じていました。ですが、なくならない可能性があっても、吃音とうまく付き合っていく方法があることを知れたことはとても大きかったです。
園に説明しにいく
言語相談後、早速園の先生に伝えにいくことにしました。ですが、先生方は吃音について何も知らない状態。一気に不安が襲ってきました。そしてそれと同時に怖さもありました。
自分の子どもには言語障害ある。この「障害」という言葉が私の中で引っかかっていました。まだ障害あると認めたくなかったのかもしれません。
見た目には何も分かりません。話さなければ分かりません。
その状態で吃音を知ってもらう、吃音を理解してもらうということが容易ではないことは肌で感じていました。
これから娘がずっと付き合っていくかもしれないことだったので、初めが肝心。
そう思えば思うほど、心がガチガチになっていたことを覚えています。

何から伝えよう、、、
どう伝えれば伝わるだろうか、、、
伝えたら、娘が変な目で見られないかな、、、
障害と認識されて園を追い出されたら、、、
色んな思いを巡らせていましたが、“私が動かなければ娘がもっと辛くなるかもしれない”。
その考えにたどり着くと先生方に話す覚悟も決まりました。
園の先生方にお時間をとっていただくことは出来なかったので、吃音のプリントと詳細についてを担任の先生を通して、園で共通認識していただくようにお願いしました。
先生方は快く聞いてくれましたし、娘のこともとても気にかけて見てくれましたし、こまめに園での吃音の状況も教えていただけたので伝えて良かったな思いました。
相談から半年後、、、
保健師の方と話した後、園の先生方に話したその後も、吃音は続きました。
娘は人見知りなのか緊張しいなのか家の外ではあまり話すことが少なかったので、園や知らない方の前では吃音はほとんど出ず、家族の前でたくさん出る状況が続いていました。
出ない時は急にやってくるので、その時には一喜一憂しないようにしながら、娘が楽しく話せる環境つくりを意識しながら生活していきました。
ですが、娘の吃音は症状が軽くなる様子もなく、時に最初の言葉が出てこない難発を発症していました。

・・・・・・・・・っわたしね

言語聴覚士の方のアドバイスも聞いた、
周りにも伝えて気にしてもらっている、
家の中でも楽しく話せるように意識している、
なのになぜ悪化するんだろう、、、
相談したから良い方に向かうだろうと思っていた私はどんどん不安になっていきました。そして保健師の方との相談で希望をもっていた心が崩れていきました。
このままどんどんひどくなっていったら、、、娘が苦しそうに話す姿を見ているのが辛い、、、
そしてもう一度保健師の方に相談することを決めました。
2回目の相談は1回目から半年後です。
2回目の言語相談後、吃音のコミュニケーション教室という所に通うことになります。
その話はまた次回お話したいと思います。
まとめ
今回は、言語相談についてお話しました。
言語相談とした時、これで何か進む、解決の光が見えてくるかもしれないという期待を持つ反面、娘に何か見えないレッテルが貼られたような気分になりました。
本当はそんなこと全くないのに・・・。
言語相談したから大丈夫だろうと思っていました。これでうまく付き合っていけるだろうと軽く考えていたのかもしれません。でも、実際には悪化してしまいました。
私はその状況に勝手に孤立感と疎外感を感じたりもしていました。周りに吃音症状の子がいるのか分からなかったことで、クラスの保護者に話しづらく気軽に言える人がいなかったこと、娘の吃音でからかいやいじめが起きたらと最悪の状況を常に想像してしまっていて、本当に何をどうしていけば娘にとっていいのか、、、と不安を通り越して恐怖を感じていたくらいです。振り返るとこの時はまだまだ受け入れられていなかったんだと思います。
そうした漠然とした不安が娘にも伝わって吃音の症状も悪化してしまったのはないか、、、そんな思いにもなりました。(一理あるかなと思っています)保健師の方から親のせいではないと言われても自分を責めてしまう気持ちを完全になくすことはできませんでした。
言語相談したから、大丈夫と思いたい、、、そうなる気持ちは本当によく分かります。
厳しいことを言いますが相談したから良くなる保証はどこにもありません。
相談したことで親の気持ちが一喜一憂しないようにしましょう。
相談することで見えてくるのは良くなることではなく、生活していくうえで“大切になってくる思考”だと思うといいかもしれません。
“子どもと向き合うこと”“子どもを観察すること”が最も大事だと私は考えています。
次回は、2回目の言語相談からコミュケーション教室に通って親の私の覚悟がさらに変わった話をお伝えします。
現在、我が家では言語聴覚士の先生と話したり自分たちで勉強した中で、心構えを下記のようにしています。
①自分達を責めない
→吃音は親の育て方、しつけと関係はない
②大切なことは、治らなくても困らないように対応をしておくこと
→治る人も多いけれど、大人になっても吃音が残る人がいるのも事実
③伝わった自信や喜びを感じられ、楽しく話せる環境整備をする
→話し方でなく話している内容に注目
→ゆっくり、落ち着いてとかの声かけはしない
→スラスラ話せなくても良いという安心できる雰囲気
今後も引き続き、
・我が家は、吃音の事実をどう受け入れていったのか?
・言語相談→言語支援教室へ通うまでの流れ、
・保育園、小学校、学童への対応
などお話していきます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今、娘は小学生ですが、波はあるものの吃音はまだあります。
親子で心地よい付き合い方を模索していますが、人に恵まれたこともあり、比較的うまく付き合っていると思います。
本記事は、子どもの吃音で悩んでいる方、吃音に悩み苦しんでいる方が、
少しでも前を向いて過ごせるための参考になったらうれしいです。